懐かしい思い出がここにあります。 RetroFun

HOME TVドラマ 音  楽 映  画 世  相
年代別
1950年(昭和25年)
1951年(昭和26年)
1952年(昭和27年)
1953年(昭和28年)
1954年(昭和29年)
1955年(昭和30年)
1956年(昭和31年)
1957年(昭和32年)
1958年(昭和33年)
1959年(昭和34年)
1960年代へ
1970年代へ
1980年代へ
1990年代へ
リバイバル1954年へ
「洞爺丸」の遭難
昭和29年9月26日夜半、台風15号が北海道南端付近に達し、これに遭遇した総トン数4,337トンの青函連絡船洞爺丸(乗客、乗組員等1,314人乗船)が北海道函館港において転覆し、159人は救助されたが、乗客1,041人、乗組員73人、その他の者41人の計1,155人が死亡した。 また、この台風により、青函連絡貨物船十勝丸、日高丸、北見丸、第十一青函丸も函館港付近で転覆、沈没(乗組員計275人死亡)するなどして、全国では、1,130余隻の船舶が被害をこうむった。
第五福竜丸被曝
昭和29年3月1日、第五福竜丸はマーシャル諸島近海での操業中に、ビキニ環礁で行われた核実験に遭遇し、船体・船員・捕獲した魚類が放射性降下物に被曝した。実験当時、第五福竜丸は米国が設定した危険水域外で操業をしていた。危険を察知して海域からの脱出を計ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。
第五福竜丸の水爆災害は、当時の日本国内に強烈な反核運動を起こす結果となった。反核運動が反米運動へ移ることを恐れた米国は日本政府との間で被爆者補償の交渉を急ぎ、総計200万ドルの補償金と「米国の責任を追及しないこと」の確約を日本政府から受け、事件の決着を図った。また事件が一般に報道されると「放射能マグロ」の大量廃棄や、放射能に対する漠たる不安感から魚肉の消費が落ち込むなど生活にも大きな影響を与えた。
二重橋事件
昭和29年1月2日、一般参賀のため皇居を訪れた人は38万人を超える過去最高の人出となった。午後2時ごろ、二重橋では参賀者が殺到して折り重なって倒れ、16名が死亡、60名が重軽傷者を負った。整理用の縄をあげた途端に、石橋に殺到し起きた事件で、当時警備の警察当局は責任を問われ、大問題となった。
プロ野球新球団高橋ユニオンズ誕生
昭和29年、当時7チームで構成されていたパ・リーグは1チームの端数が生じるため、シーズン開幕前に「株式会社高橋球団」を設立。急造だったためパ・リーグ各チームから若手を供出するよう申し合わせがされたが、実際に集められたのは扱いに手を焼く選手や戦力外の選手が大半だった。こうして高橋ユニオンズは結成された。チームのスポンサーは戦前イーグルスのオーナーでもあった高橋龍太郎。
本拠地は神奈川県にあった川崎球場。予算も選手も限られた寄せ集めとあってチームの士気は今ひとつ。成績も低迷し、悪いムードを払拭するべく昭和30年にトンボ鉛筆と業務提携しトンボユニオンズとチーム名を改称するも改善の見込みなく、1年で提携は解消し昭和31年にチーム名は再び高橋ユニオンズに戻った。その後資金繰りが悪化したことや8チームでの試合編成が多すぎたことから昭和32年2月に大映スターズと合併し大映ユニオンズとなった。
自衛隊発足
昭和29年7月1日に防衛2法が施行され、保安隊が陸上自衛隊隊に、警備隊が海上自衛隊に改編されるとともに、航空自衛隊が新設され、3自衛隊を統括する防衛庁が総理府の外局として設置された。違憲性が問題になっている。
リバイバル1954年へ
【広告】副業でお金儲け/ パワーストーン星のかけら