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砂川基地闘争
測量の開始をめぐって昭和30年からもめ続けていた砂川基地問題が、昭和31年10月12日、調達庁が警察隊1400人の出動によって測量を強行したためついに爆発し、260人の負傷者を出す事態となった。
10月13日には武装した警官隊2000人が実力行使して730人の負傷者を出し、13人を検挙したが、測量隊は1本の杭も打ち込めずに未測量のまま引き上げた。政府は世論の高まりにより15日以降の測量を断念し、拡張計画の中止を決定した。
15日には阿豆味天神社で、4500人が集まり勝利集会が開かれた。
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参宮線列車転覆の惨事
昭和31年10月15日、国鉄参宮線六軒駅(三重県)で下り快速列車が脱線転覆、そこへ入ってきた上り快速列車が乗り上げ、折り重なって脱線した。被害者の大部分がお伊勢参りの修学旅行の生徒だった。
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日ソ国交回復
昭和31年12月12日、日ソ共同共同宣言の批准書が交換され、ソ連が対日宣戦を通告して以来11年4か月ぶりに日ソ間の国交が正式に回復した。
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日本隊マナスル登頂
昭和31年5月9日、ヒマラヤ山脈のマナスル山(8125m)をめざして組織された第3次マナスル登山隊(槙有恒隊長)の今西隊員とシェルパによる第1回攻撃隊が登頂に成功した。続いて、11日、第2回攻撃隊も頂上を踏んだ。
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能代大火
昭和31年3月20日、午後10時50分頃、秋田県能代市で七輪こんろの残り火から出火。折からの強風にあおられて、瞬く間に広がったが、午後10時30分頃鎮火の見通しが立った。そのころ発達した低気圧が三陸海上を進行中で、風速14m、最大瞬間風速22mと、気象条件が悪くなっていた。午後11時ごろ二次火災が発生し、烈風にあおられて大火へと発展していった。鎮火したのは21日の午前5時30分頃であった。負傷者19人、焼失家屋、1600戸、焼損面積17万8,933平米 。
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