|
|
東名日本坂トンネル事故
昭和54年7月11日、東名高速道路下り線の「日本坂トンネル」で、トラックと乗用車が起因する衝突事故が発生。後続車両7台が玉突き衝突した。この事故直後にトラックの荷物が発火してトンネル内を一面の煙に包み込んだ。避難のため置き去りにした車両173台が次々と炎上、逃げ惑うドライバー達はトンネル内の灼熱と煙で非常口を見失い7人が死亡。173台の車両が65時間も燃えつづけた。
日本坂トンネルは、東名高速道路では最も長いトンネルで、当時の道路公団はトンネル内の安全性は世界最高レベルと自負していたが、この事故の高熱と煙の前にはまったく無力で、防災設備・スプリンクラーは役に立たなかった。
消火後、トンネル内の残骸車両を片付けるのに10日間を要し片側一車線の仮開通。2ヵ月後に、ようやく全面復旧した。この間の物流は、迂回や貨物列車などの代替輸送を余儀なくされ、被害総額は60億円前後になった。
|
|
|
|---|
|
三菱銀行猟銃人質事件
昭和54年1月26日、大阪市住吉区の三菱銀行北畠支店に、猟銃をもった梅川昭美が猟銃を一発撃ちながら乱入。行内のカウンターで「金を出せ、出さんと殺すぞ。10数えるうちに5000万円出せ」と要求。これを見た行員の萩尾博さんは警察への非常電話に手をかけた途端、梅川は躊躇することなく猟銃を撃ち射殺した。
梅川は持参したナップザックをカウンターに投げ、金を入れるように再度要求。女性行員がナップザックに現金を入れているところを巡回中の住吉署の楠本正己警部補が拳銃をふりかざして飛び込んでくるや、これも躊躇することなく射殺した。遅れて駆けつけた阿倍野署の前畠和明巡査も射殺して行内には3人の死体が横たわった。
篭城から42時間後の28日、シャッターの隙間から大阪府警の「特殊部隊」ら警官隊33人がなだれ込み梅川を狙撃。首を打たれた梅川は即死の状態であった。梅川が救急車で搬送される時、警察官らは「死ぬなよ」と何度も梅川に声をかけている。「ここで、楽に死なれてたまるかぃ。生きて俺たちの裁きを受けろ」という気持ちだったという。が、意識不明の梅川は病院に搬送された後、死亡が確認された。
|
|
|
|
|
東京サミット
昭和54年6月28、第5回のサミットが東京・元赤坂の迎賓館で開催された。報道陣は4000人を超え、さらには41万2000人の警察官を動員、交通規制の徹底など厳重な警備体制が敷かれた。この東京サミットはアジアで初めてのサミットであり、大平首相は、直前の国連貿易開発会議のマニラ総会で「開発途上国の声をサミットに反映させる」と表明。「東京宣言」には、エネルギー開発援助、食料増産援助の必要性も盛り込まれた。その一方で東京都内では慢性的な渋滞が多数発生した。
|
|
|
|
|
政界に広がったKDD事件発覚
国際電信電話会社(KDD)の密輸事件を追及中の警視庁は、昭和54年12月4日、関税法違反容疑で本社など23か所を、5日には前社長宅などを家宅捜索した。密輸は社命で常習となっていた。他にも、巨額な交際費の不透明な使用、贈り物乱発、接待などによる派手な政官界工作、利益隠しなどが明るみに出た。
|
|
|
|
|
官公庁不正続発
昭和54年9月6日、日本鉄道建設公団の不正経理が発覚した。これを皮切りに、官庁、公団、自治体の不正問題が続々明るみに出た。カラ出張、カラ超勤、カラ会議、ヤミ賞与、ヤミ給与、ヤミ休暇などが横行した。この他、大蔵省の過剰接待や公金流用など、不正は環境庁、総理府、国鉄、自衛隊などにも及んだ。会計検査院の1978年度決算検査報告では、税金の無駄使いが270億円にものぼった。
|
|
|