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懐かしいあの時代・昭和30年代語録
オート三輪
原動機付き三輪車のこと。昭和27年にダイハツよりフロントガラスと屋根の幌付きオート三輪が発売された。当時は普通免許はいらず、貨物用として量産された。しかし、オート三輪はカーブでの安定性が悪く、四輪トラックが量産化・低価格化、免許制度の改定でオート三輪も普通免許が必要になると、しだいに姿を消していった。オート三輪の代名詞といえばダイハツ・ミゼット。昭和32年に発売され、その後改良が加えられ昭和46年まで製造された。
赤チン
昭和30年代頃の子供たちは、みんな膝小僧などに赤チンをつけていた。赤チンは真っ赤な色をした液体の傷薬で、つけた時の刺激がないため家庭や病院で重宝された。しかし、赤チンには水銀成分(無害)が含まれ、昭和40年代の公害問題で水銀化合物が公害関連物質に指定されたため、そのあおりを受けて昭和48年に国内での製造が中止された。しかし輸入品の使用は今でも禁止されていない。
切手ブーム
昭和32年にグリコが、景品として外国切手を入れた「グリコ」と「アーモンドグリコ」を発売し、小・中学生を中心に切手ブームをもたらした。アルバムを手に記念切手や使用済みの切手など様々なものがあった。中でも昭和23年発行の「見返り美人」、昭和24年の「月に雁」は発行枚数が少なく当時から高価だった。
肥後守
肥後守とは学童用の安価なナイフで、昭和30年代に工作や鉛筆削り等に使用された。刃物の使い方を知る上でもよかったのですが、刃物は危ないという考えからだんだんと姿を消していった。当時は肥後守を使用する事で手先が器用になり、刃物はどうすれば危ないのかという知識を学ぶ上でも大切な道具だった。ちなみに名前の由来は、九州で非常に売れたので肥後守ナイフという名前で販売したことから。
テレビ放送
昭和28年にNHKがテレビ放送を開始。当時のテレビは14インチで17万5千円。大卒初任給が5千円くらいの時代であったから、当然庶民の買える物ではなかった。この頃は「街頭テレビ時代」と呼ばれ、駅前などにテレビを設置、プロレスやプロ野球中継が人気を得た。昭和34年に皇太子(現・天皇)のご成婚パレードの中継が行われ、この年1年でこれまで普及台数・100万台から一気に2倍の200万台に増えた。昭和35年からカラー放送が始まる。
電報
昭和30年代ごろは、電話の普及が少なく長距離の連絡手段といえば電報だった。当時は集団就職や出稼ぎが多く、実家の親に何かあった時には「チチキトクカエレ」などと言ったような電報が届けられた。電話の普及と共に衰退し、現在では結婚式や葬式くらいしか使われていない。
家電の三種の神器
昭和30年代は家電の急速な発展の10年であった。「家電の三種の神器」と呼ばれたのが、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機。主婦のあこがれの的であった。人々は、「家電製品」を買い、そして「家電生活」を楽しむために、毎日働いたといってもいい時代であった。
フラフープ
昭和33年に発売され、フラフープ熱は瞬く間に日本中に広がり、当時は朝からデパートに行列ができるほどの大ブームで1か月で約80万本、一時は2秒に1本という勢いで爆発的に売れた。しかし「フラフープをやり過ぎると腸捻転(ちょうねんてん)になる」という噂が飛び交い、今度は急速な勢いでブームは去っていった。
銀玉鉄砲
銀玉とは粘土を5mmくらいに丸め銀色の紙を貼ったような玉。それをプラスチックの鉄砲で友達同士撃ち合って遊ぶ。銀玉は1ケースに50個の弾が入って5円だが、当時の子供たちには貴重品。撃ち合いの最中、玉が無くなると誰からともなく声をかけ、玉拾いタイムが始まったものである。
ボンネットバス
フロントエンジンが運転席の前に突出したタイプのバスで、昭和30年代頃はバスの主流であった。その後、現在の主流の箱型リアエンジンバスに移行していったが、ボンネットバスは前輪が運転手の前にあるので山間部の曲線道路では操縦しやすい、リアエンジンだと土ぼこりを吸い込んでトラブルになる、メンテナンスが簡単などの理由で、ボンネットバスは昭和45年まで製造された。
トランジスタラジオ
トランジスタは増幅・スイッチ動作をする半導体素子で、真空管の代わりに使われるようになった。昭和30年8月に東京通信工業 (現=ソニー) がTR-55を発売、価格は1万8900円で会社員の初任給とほぼ同じだった。それまでの真空管ラジオは、真空管が熱であったまるまで音声が出なかった。
給食
昭和30年代の給食メニューは、くじらの竜田揚げ、ちくわの磯辺揚げ、あげパン、カレー汁などなど。また当時の牛乳は脱脂粉乳で、残す子供が多かった。
スーパーカブ
昭和33年にホンダがスーパーカブC100を発売。価格は55,000円。その後、改良を加えて平成17年12月末で世界生産累計が5,000万台を達成した。これは、エンジン付乗り物としては初めてとなる。しかし、発売依頼、改良は加えられているものの外観はほとんど変わっていない。
ブリキのおもちゃ
ブリキのおもちゃは、戦後からら昭和30年代にかけて、日本の復興の一翼を担った主要産業だった。 日本のブリキのおもちゃは質の高さ等で海外での評価が高かった。ブリキは彩色しやすく、カラフルなおもちゃがたくさんあった。しかしブリキで手を切るなどの事故があり、その後衰退していった。
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