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太平洋ひとりぼっち
ヨットで太平洋横断
昭和37年5月12日、堀江謙一はパスポートとビザをもたないまま小型ヨット「マーメード」で兵庫県の西宮ヨットハーバーからアメリカに向けて出帆した。94日にわたる悪戦苦闘のすえ、8月12日サンフランシスコに到着、世界初の単独太平洋横断に成功した。この快挙はアメリカ国民や在米日系人に大歓迎された。1ヵ月の滞米期間を認める異例の措置がとられ、とロサンゼルス両市から名誉市民の称号と鍵を贈られた。一方、日本では「人命軽視の暴挙」として報じられ、冒険に対する日米の評価の違いが浮き彫りとなった。

関連書籍⇒太平洋ひとりぼっち 著:堀江謙一
13日間―キューバ危機回顧録
キューバ危機
昭和37年10月22日、ケネディ米大統領はソ連がキューバにミサイル発射基地を建設中と発表、キューバ海上封鎖を声明。その後、ウ・タント国連暫定事務総長のあっせんで、28日、フルシチョフ・ソ連首相が攻撃用兵器撤収を表明して一段落した。

関連書籍⇒13日間―キューバ危機回顧録 著:ロバート・ケネディ
常磐線三河島駅、列車脱線衝突
昭和37年5月3日、国鉄常磐線三河島・南千住間で下り貨物列車が信号を誤認、車止めを突き破って機関車が脱線、下り線路内に傾いた。そこへ上野発取手行き下り電車が衝突脱線、乗客は線路上を歩き始めたところ、南千住駅を出た上野行き電車が突っ込み、脱線車両に衝突、1両目は車台だけ残してこっぱみじんとなり、2〜4両目は高さ5メートルの土手から民家に転落した。この二重衝突で死亡者は160人、重軽症者296人。
追憶マリリン・モンロー―20世紀最後の証言
マリリン・モンロー謎の死
昭和37年8月5日、全裸死体で発見されたマリリン・モンロー。マリリンは幼い頃から、里親を転々とした孤独な少女だった。 16歳で結婚したが、うまくいかなかった。スターになってからも、孤独からぬけきれなかったのか、恋愛ゴシップを重ねていく。ジェームズ・ドハティー、ジョー・ディマジオ、アーサー・ミラーと結婚・離婚を繰り返す。 演技に目覚めた自分と、世間のイメージの違い、子供の頃からの孤独感の中で、いつしか睡眠薬に頼って生きる様になってしまった。やがて彼女は仕事もすっぽかしはじめ、JFK一家とのスキャンダルにまみれていく。JFKの誕生日に「ハッピ・バースデイ・トゥ・ユー」を歌った彼女。やがて、帰らぬ人となる。その死は自殺か、他殺か、今なお多くの謎につつまれている。

北陸トンネル開通
昭和37年6月10日、難所だった敦賀〜今庄間を直線で結ぶ。長さ1万3869メートルは当時は日本最長。同時に福井駅までの複線電化も完成した。
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