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全日空雫石衝突事故
昭和46年7月30日午後2時4分頃、千歳発羽田行き全日空のボーイング727型機と航空自衛隊のF86Fジェット戦闘機が、岩手県雫石の上空28000フィート(約8500メートル)で空中衝突を起こした。全日空機は墜落し乗客・乗員162人が死亡。自衛隊の訓練機は、緊急脱出して教官の隅太茂津一尉と訓練生の二曹が助かった。事故当時、自衛隊の訓練機は、教官の隅一尉が予告なしに左右の急旋回を繰り返し、後方上空を飛行している二曹が、等間隔でついていくという訓練をしていた。

フライトレコーダなどの調査によると、この自衛隊機より時速70キロ早く飛んでいた全日空機が、自衛隊機に衝突した格好となった。衝突した訓練機は、背面飛行となりながら奇跡的に脱出ができた。全日空機は、衝突後まっすぐに飛行していたかに見えたが、次の瞬間、紙くずが舞うように機体がバラバラになり墜落していったという。

ドル・ショック
1971年8月15日、ニクソン大統領はドルと金との交換の一時停止、10%の輸入課徴金の実施、賃金・物価の90日間凍結などを柱とする厳しいドル防衛措置を発表した。第2次世界大戦後、米国は二百数十億ドルの金準備と巨大な生産力に支えられて世界の経済を支配してきた。しかし巨額の対外軍事・経済援助、ベトナム戦争の長期化による軍事費の増大や大企業の海外投資の激増などでドルの海外流出が相次いだ。国際通貨基金(IMF)体制下の世界経済は金と交換できるドルを基軸に為替レートを原則的に固定化することで拡大、繁栄してきた。その停止はIMF体制を根底から揺るがせた。

また日本経済も1ドル=360円の堅持で成り立っており、米国の一方的なドル防衛措置には無策の状態だった。このため世界の主要外国為替市場が8月16日に軒並み閉鎖される中、唯一開かれた東京へはドルの売り物が殺到、暫定的な変動相場制へ移行した28日までに、日本は結局40億ドルを買い支えた。
成田新空港反対闘争
昭和47年5月開港をめざす新東京国際空港公団・千葉県と、これに反対する地元農民・支援学生らが激しく対立した。昭和46年9月16日、成田空港建設を巡る反対派と警察の攻防でついに犠牲者が出た。政府の土地収用法に基づき第二次強制代執行を阻止するため建設反対の地元農民や全共闘、中核派など反対派約5000人と警察5300人が激突した。午前6時45分、機動隊は完全武装し強制代執行を開始した。反対派は火炎瓶、投石などで応酬。これに対して機動隊は催涙弾を打ち込み現場は戦場と化した。

午前7時、雑木と畑に囲まれた通称「東峰十字路」で機動隊250人が待ち伏せしていた反対派500人に襲撃され神奈川県警機動隊の小隊長(当時47歳)が火炎瓶を投下され全身火傷と殴打により死亡した。さらに部下の2人も病院先で死亡。この闘争で3人が死亡し多数の反対派、機動隊が重軽傷を負った。

昭和53年5月20日、新東京国際空港(成田空港)は4000メートルの滑走路一本で暫定開港したが、これまでに反対派、警察、民間人併せて9人の犠牲者がでた。平成14年、ワールドカップ日韓開催に合わせて二本目の滑走路を完成させたが、反対派4軒の立退きができず本来の位置をずらしたため中型機しか利用できない2180メートルという中途半端な滑走路となった
大久保清事件
昭和46年3月31日から5月14日までに8人の女性をドライブに誘い、暴行のあげく殺害し土中に埋めた事件が群馬県前橋で起こった。13日に失踪した竹村さんの兄達の懸命な捜索の結果、14日犯人の大久保清(当時36歳)を発見、警察に通報し逮捕した。大久保は希代の殺人鬼としていまでも語り継がれている。大久保は2ヶ月前に強姦死傷で4年間の服役を終えて府中刑務所を出たばかりだった。声をかけた女性は実に127人。誘いに応じて車に同乗した女性35人の内、20数人を暴行、内8人を殺して埋めた。

5月15日に逮捕された大久保を一刻も早く自供させたい警察は、信じられないほど大久保にチヤホヤした。結果、自供通りに次々と女性の死体が掘り出され、8人の身元が確認された。昭和48年2月22日前橋地裁で死刑判決。大久保は控訴せず死刑が確定した。昭和51年1月22日死刑執行。死刑執行を知らされた大久保は腰を抜かして歩けず、係官に両脇を抱えられて死刑台に向ったと言う。

日本マクドナルド第1号店オープン
1971年7月20日、東京・銀座4丁目。マクドナルド日本第1号店「銀座店」がオープンした。外国人にはもちろんのこと、日本人にも大人気で迎えられ、マスコミにも大きな反響を呼ぶ。日曜日には歩行者天国の効果もあり、1日に1万人のお客がつめかけ、1個80円のハンバーガーは飛ぶように売れた。

同年の7月24日には、初めて客席をそなえた「代々木店」が、続いて「大井店」がオープンした。 
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