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昭和ニッポン
日本赤軍・ダッカ日航機ハイジャック事件
昭和52年9月28日、パリ発東京行きの日航CD8型機がインドのボンベイ空港を離陸直後、日本赤軍に乗っ取られた。武装したグループは、クアラルンプール事件で関係した日本赤軍・丸岡修、佐々木則夫らで、乗員・乗客141人を人質に身代金600万ドル(当時のレートで16億円)と赤軍派・奥平純三、東アジア反日武装戦線のメンバーで三菱重工ビル爆破事件で服役中の大道寺あや子、浴田由紀子ら9人の釈放を要求した。ハイジャックした、日本赤軍はバングラディシュのダッカ空港に緊急着陸させて、日本政府との交渉に入った。

日本政府は、要求拒否と要求受入れでもめたが、福田総理の「人命は地球より重い」との見解から、いわゆる「超法規的措置」として犯人側の要求どおり、釈放犯6人(3人は出国拒否)と身代金を引き渡した。釈放犯は、ダッカ空港でハイジャックした日本赤軍と合流。その後、ハイジャック防止加盟国に批准していない、シリア・ダマスクス空港などで給油し、アルジェリアのダニエル空港で人質を解放した。

日本赤軍は、この軍資金の調達と有力メンバーの奪回に成功し、国際テロへと拡大。世界各国から、日本政府の弱腰対応に避難の声が高まった事件であった。

有珠山爆発
1977年8月6日午前3時すぎから 気象庁の地震計は火山性地震を記録し始め、30時間後、有珠山は噴火開始。最初の噴火は8月7日午前9時12分から11時40分まで、およそ2時間30分続いた。
    
このときの噴煙は12,000メートル上空まで達した。千歳を発って名古屋に向かった飛行機に、この時の火山石が命中し2枚のガラスが割れ引き返した。吐き出された火山灰の量は霞ヶ関ビル400杯分に達し車の視界は昼間ライトをつけて2メートル。爆発当時の洞爺湖温泉は逃げまどう人々でパニック状態となった。すしずめ状態のバスの運転手は「噴火より人間が怖かった」と話している。また医者と看護婦が逃げる車中で産気づいた妊婦の出産を成功させたと言う美談も残っている。被害総額は316億円。

青酸コーラ事件
昭和52年1月3日午後11時過ぎ、新幹線のビュッフェ(食堂車)でアルバイトの男子高校生が同僚と勤務を終えて品川の従業員寮に戻る途中、品川駅と寮の400メートルの間にある電話ボックスにコーラが置かれていたのを発見した。中身は入っており栓もしていたため誰かが忘れたのだろうという軽い気持ちでコーラを持ち帰った。4日午前12時過ぎ同僚達はビール、高校生は拾ったコーラを飲んだ。約5分後、急に苦しみだして嘔吐。病院に運ばれたが、午前7時30分に死亡した。

同日の4日午後、その電話ボックスから600m離れた場所で無職の男性が死んでいるのを通行人が発見。そばにはコーラのビンが転がっていた。東京は、正月気分から一気に冷め戦慄がはしった。また、北品川の赤電話にもコーラ瓶が置かれていたが、拾った中学生は飲まなかったため一命を取り留めた。

警察の調査で、コーラには致死にいたる青酸ナトリウムが混入されていた。警察は、不特定多数の無差別殺人として大掛かりな捜査を開始した。青酸ナトリウムが入手しやすい塗装業や加工業など徹底的に捜査したが、物的証拠に乏しく平成4年に時効が成立した。事件当時、コカコーラの販売を自粛するスーパやお店が多数にのぼり、コーラ会社も大打撃を受けた

王貞治
王貞治、通算本塁打756号
昭和52年9月3日、後楽園球場の巨人―ヤクルト23回戦。ハンク・アーロンの米大リーグ記録、通算755本塁打に並んでいた巨人の王貞治は、この試合の第2打席で鈴木康二朗投手からついに通算756本塁打を放ち「世界の王」となった。王選手はバンザイを二度繰り返してベースを一周。祝福の花束を受けてスタンドの万雷の歓呼にこたえた。

同年、国民栄誉賞第1号を受賞。

ピッチャーとして選抜高校野球優勝の経験を持つ王はプロ入り後、打者に転向。荒川道場での特訓から「一本足打法」が誕生。「過去にとらわれず、現在をいかによくするか」という世界一になった王は、現役引退までに通算868本のホームランを生み出した。

関連書籍⇒百年目の帰郷―王貞治と父・仕福 著:鈴木 洋史
円高不況
消費が伸びず、企業ははけ口を輸出に求めたため、アメリカやEC諸国から対日輸入制限の火の手が上がった。

この年の円高は産業界に大きな打撃となった。年末には238円まで円高が進み、多くの企業が倒産に至った。また日立造船、佐世保重工業などが経営危機に陥り、10月には安宅産業が経営破綻から、伊藤忠商事に吸収合併されたりした。
 
リバイバル1977年へ
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