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新東京国際空港開港
昭和53年3月26日、30日の開港予定日を控えて、反対過激派の赤ヘル・グループが管制棟に乱入して機器を破壊し開港は延期になった。
5月20日、4000メートルA滑走路1本のみで新東京国際空港(成田空港)が開港した。

1966年に成田市三里塚に新空港を造ることを閣議決定してから、地元住民の根強い反対にあい、さらに新左翼各派も加わり、激烈な反対運動が展開された。
宮城県沖地震
昭和53年6月12日午後5時14分、宮城県沖地震が発生。宮城県を中心を中心に被害は1都6県に及び、死者28人、負傷者1万1028。多くの死傷者はブロック塀の倒壊によるものだった。

仙台市の電気、水道、ガスなど生活にかかせないシステムが破壊され、市民は不便な生活が強いられた。専門家はこれを「ライフライン」の破壊と呼んだ。
実録たかされ
江川問題でドラフト論争
昭和53年11月21日ドラフト会議を翌日に控え、巨人は江川とドラフト外の選手契約を交す。会議の前日は拘束されない「空白の1日」との解釈だった。虚を突いた巨人のやり方に憤りの声が上がった。セ・リーグ会長はこの契約を無効と断じたが、22日のドラフト会議に巨人サイドは欠席、江川を阪神が氏名した。結局、コミッショナーの出した強い要望にそう形で江川は阪神に入団し、小林繁投手とトレードされ、1979年に巨人に入団した。

関連書籍⇒実録たかされ 1 (1) 画:本宮ひろ志/作:江川卓
実録たかされ 2 (2) 画:本宮ひろ志/作:江川卓
実録たかされ 3 (3) 画:本宮ひろ志/作:江川卓
植村直己物語
植村直己、北極点到達
1978年4月29日単独犬ぞりで北極点到達。同年にはグリーンランド縦断にも成功。

北極点・グリーンランドの犬ぞリ探検成功後、アルゼンチン軍の協力が得られることとなり、南極点単独犬ぞリ探検を計画するがフォークランド紛争勃発により断念。その後、米の野外学校に参加するため渡米。アラスカでマッキンリー登頂を目指す。1984年2月12日厳冬期単独登頂で初めて登頂を果たす。翌2月13日連絡がとれなくなり、行方不明。明治大学山岳部によって2度の捜索が行なわれたが発見されなかった。

現職警官の殺人事件
昭和53年1月10日午後4時30分過ぎ、東京都世田谷区経堂のアパート・東荘の家主から「アパートの住人である女性が死んでる」と警察に110番通報があった。直ちに捜査班は現場に急行、現場検証を開始する。

被害者は、清泉女子大学4年生のY子さんで、首にはストッキングが巻きついており絞殺されていた。東荘は木造2階建で、Y子さんの部屋は4号室一間、ドアに鍵は掛かっていなかった。また、窓ガラスは割れていて室内は荒らされていた。この状況から、Y子さんは、犯人を部屋に入れてから暴行、絞殺されたと推定。捜査班は更に家主から詳細を聞き出した。

家主の証言は、4時半過ぎに外出しようとした際、4号室の窓が割れていて中を覗くと警察官が立っていた。この警察官は「女性が殺されている。警察に通報してください」と依頼。このため、前述の通り家主は110番通報したのだった。

この警察官は北沢署経堂駅前派出所の松山純弘(当時20歳)で、家主が110番通報している間に交番に戻り通常の勤務をしていた。捜査班は、松山の不可解な行動を問いただした。当初は第一発見者を装っていたが、頬にあった引っかき傷を指摘されて犯行を自供した。

松山は、日頃からY子さんに好意を持っていた。犯行当日、Y子さんのアパート周辺をパトロール中、Y子さんのドアをノックした。警戒心が強い一人暮らしの女性であっても、さすがに制服警官であればドアを開けない訳が無く、Y子さんの部屋に上がりこむことができた。そこで、暴れるY子さんに乱暴した後、絞殺した。また、その後の取調べでパトロール中に不在の部屋を見つけては侵入し現金などを盗んでいたことも判明した。現職警察の、しかも勤務中、制服での犯行に世間は愕然とした。
リバイバル1978年へ
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