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戦後最大の宰相 田中角栄
田中角栄元首相に実刑判決
戦後最大の疑獄・ロッキード事件丸紅ルート公判で、東京地裁は昭和56年10月12日、元首相の田中角栄被告に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡した。判決文の中で岡田光了裁判長は、5億円の授受、全日空へのトライスター売り込み工作の請託などを事実と認定、「社会への病理的影響は計り知れない」と、首相の犯罪を断罪した。保釈金3億円で再保釈された田中元首相は判決を不服として控訴、「不退転の決意で闘い抜く」との所感を出した。二審でも実刑判決を受けて上告中の1993年12月、田中元首相は死去、控訴は棄却された。その後、1995年2月の丸紅ルート上告審判決で贈賄側の有罪が確定、5億円収賄という「首相の犯罪」が認定され、事件は発覚から20年目で最終決着をした。しかし、最大の争点だったロッキード社幹部の嘱託尋問調書については証拠能力が否定され、国際捜査のあり方に課題を残した。

関連書籍⇒戦後最大の宰相 田中角栄〈上〉 著:田原 総一朗
戦後最大の宰相 田中角栄〈下〉 著:田原 総一朗
大韓航空機撃墜事件
昭和58年9月01日午前03時26分頃(日本時間)、アンカレジからソウルに向かっていた大韓航空007便ボーイング747型機がソ連領空を侵犯、サハリン沖でソ連戦闘機にミサイルで撃墜された。日本人28人を含む乗客、乗員269人全員が死亡した。ソ連は当初、撃墜の事実を認めなかったが、日米両国が傍受したソ連戦闘機の交信録を公表したため、9日になってミサイル攻撃の事実を公表した。しかし、西側諸国の避難に対し、「領空侵犯はスパイ行為」などと、終始高姿勢で対応した。
三宅島大噴火
昭和58年10月3日の午後、伊豆諸島・三宅島の雄山山腹から噴火、溶岩流が島南西部の阿古地区の3集落を襲い、530戸が全焼するなどの被害を出した。また阿古小学校、阿古中学校の鉄筋校舎が押しつぶされたほか、島東部一帯が火山灰に覆われ、被害は217億1000万円余にのぼり、住民約1300人が避難した。同島の噴火は21年ぶりで、8月に噴火を想定した避難訓練を行っていたことが「死者ゼロ」につながった。
レーガン大統領来日
昭和58年11月09日から12日まで、アメリカのレーガン大統領は、ナンシー夫人を伴い国賓として日本を訪問した。2回にわたる首脳会議では、日米関係、国際情勢などについて話し合いが行われ、「日米安保体制の信頼性の強化」などを確認した。大統領は、東京・奥多摩の山荘で中曽根首相夫妻と歓談したほか、アメリカ大統領として初めて国会で演説、福沢諭吉の言葉などを引用して自由の尊さを訴えた。
日本海中部地震
昭和58年5月26日正午、秋田県沖約100kmの日本海を震源とするマグニチュード7.7の地震が発生、秋田市、むつ市、青森県深浦町で震度5の強震を記録した。地震直後には東北、北海道、中部の沿岸に津波が襲来し大きな被害をもたらした。地震と津波による被害は、秋田・青森両県を中心に死者104人、負傷者324人、家屋の全壊1584棟、半壊3505棟、道路の損壊1379カ所、船舶の被害2651隻にのぼった。足の小学生ら死者・行方不明者、合わせて104人にのぼった。建物の全半壊5089棟、道路・橋の損壊581カ所など、被害は8億円に及んだ。
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