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昭和天皇
昭和天皇崩御/平成元年スタート
昭和64年1月7日午前6時33分、天皇陛下が十二指腸部の腺がんの為、皇居・吹上御所で崩御、87歳だった。皇太子明仁親王が皇位継承し、即位した。激動の昭和が、この日、幕を下ろした。

昭和天皇の崩御と新天皇即位を政府が告示。新元号を「平成」とした。この「平成」は史記五帝本記の「内平かに外成る」、書経大兎謨の「地平かに天成る」から引用され、7日に即日公布。翌8日に施行された。

関連書籍⇒昭和天皇 著:保坂正康
世界を揺るがした10年
ベルリンの壁崩壊
1961年8月13日、米国とソ連の対立が表面化し、東ベルリン通りを戦車と兵隊の輸送車が列を作って進み、東ドイツの兵士はベルリンの街に有刺鉄線を張り巡らせ、社会主義地区と資本主義地区とを分け隔てました。この有刺鉄線はすぐにコンクリートの壁に強化され、電流を通し、地雷を仕掛けるまでエスカレートしました。ここまでするのは東側の優秀な人材が次々と西側へ亡命してしまう為で、この後、ベルリンの壁は東西冷戦の象徴として28年間存在しました。それが1989年後半から東ドイツは市民の民主化運動が急速に広まり、10月にホーネッカー書記長兼国家評議会議長が解任、後任についたクレンツ社会主義統一党政治局長は11月9日、西側への出国を原則自由化する国境開放に踏み切り、翌日、西側への通過地点を増やすと発表しベルリンの一部を壊し始めた。このベルリンの壁崩壊から東西ドイツ統一が実現するまでそれほど時間はかからなかった。

母・美空ひばりのアルバム
手塚治虫、美空ひばり、松田優作 死去
平成元年2月9日、「漫画の神様」と呼ばれ、戦後の日本漫画界、アニメ界に大きな影響を与えた手塚治虫さんが胃がんのため死去した。享年60歳。「鉄腕アトム」「火の鳥」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「ブラックジャック」等、数々の名作を世に送り続け、日本国民に広く愛された 。

6月24日、戦後の歌謡界をリードし、「女王」と呼ばれた歌手の美空ひばりが、間質性肺炎のため死去。享年52歳。

11月6日、俳優、松田優作さんが膀胱がんのため死去。TV「太陽にほえろ!」のジーパン役で一躍スターになると、TV「探偵物語」、映画「遊戯シリーズ」等に出演、晩年には映画「ブラック・レイン」でマイケル・ダグラス、アンディ・ガルシアらと競演。その演技がハリウッドでも評価されようという矢先の旅立ちだった。享年39歳。

関連書籍⇒母・美空ひばりのアルバム 著:加藤 和也
トキワ荘実録―手塚治虫と漫画家たちの青春 著:丸山 昭
松田優作全集 著:松田 美由紀
宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ
幼女誘拐殺人容疑者宮崎勤逮捕
平成元年7月23日、東京・八王子市郊外の山林に6歳の少女を連れ込み、裸にして写真を撮っていた男が、その少女の父親に捕まり警察に連れ出された。逮捕されたのは宮崎勤(当時26歳)。8月10日になり、彼が昭和63年8月から連続発生していた幼女誘拐・殺人事件の犯人として再逮捕された。この事件は昭和63年8月22日、埼玉県入間市で少女を誘拐、八王子市の山林で殺害した後、遺体をビデオで撮影するなどし、平成元年2月6日、殺害した少女の両親に骨片や歯、灰を段ボールに入れ送りつけた。昭和63年10月3日にも埼玉県飯能市で少女を誘拐、同じ山林に連れ込み殺害した。12月9日には川越市の団地内で遊んでいた少女を誘拐、車の中で首を絞めて殺害、近くの山林に遺体を捨てた。1989年6月6日には東京都江東区の公園で少女を誘拐、殺害し、遺体を自分の部屋に持ち帰りビデオで撮影するなど、常軌を逸した犯行に日本中が震撼した事件だった。平成9年4月14日、東京地裁で死刑判決が下され、弁護側はこれを控訴。平成14年6月28日、東京高裁は控訴を棄却。死刑が確定した。

関連書籍⇒宮崎勤事件―塗り潰されたシナリオ 著:一橋 文哉
香港返還と天安門事件
天安門事件
1989年4月、中国国民から愛された改革開放の開明的指導者、胡耀邦前総書記の追悼集会を機に、学生や知識人たちが民主化要求運動を開始、天安門広場を占拠した。この民主化要求運動を巡り、中国指導部内で権力闘争が起こり、民主化を望む学生らの声を聞こうとする改革派の趙紫陽総書記が解任された。民主化要求運動の熱が高まっていく北京は戒厳令がしかれ、6月4日、人民開放軍は天安門広場に集まる学生たちを武力弾圧した。後に、この事件で319人が死亡したという中国政府の発表があったが、これはあくまで弾圧した側の発表で、一説には死者数千人、数万人とも言われている。民衆の声を武力で弾圧する国の姿が垣間見える。
関連書籍⇒香港返還と天安門事件 著:森田 靖郎
リバイバル1989年へ
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